世界中で8億3,000万人を超える人々が、毎日の食事のたびに炭水化物の計算に追われている。白米を一杯食べただけでも血糖値は急激に上昇し、患者は時間を気にしながら薬を服用するか、腹部にインスリンを自己注射しなければならない。だが、過酷な食事管理や投薬を続けていても、年を追うごとに体重が増え続けてしまう人は少なくない。
2026年10月22日付の学術誌『Science』に、この悪循環を打ち破る革新的な研究成果が掲載された。スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)の研究チームが開発したのは、わずか3cmの皮下埋め込み型微小デバイスだ。皮下に埋め込まれた装置に通電すると、血中に余ったグルコースが水溶性の分子へと変換され、尿とともに体外へと排出される。
図:血中を漂う余剰グルコースを描いた概念イラスト。今回の新装置が作用するターゲットである。提供:Science News / Nemes Laszlo / Science Photo Library / Getty Images
インスリンは糖を細胞に押し込み、結果として脂肪へと変えてしまう
多くの人は、血糖降下薬やインスリン注射が「体内の糖分を消滅させている」と考えがちだ。しかし、生体のメカニズムはその認識とは正反対である。
インスリン(膵臓から分泌され、細胞に糖の取り込みを促すホルモン)の役割は、筋肉や肝臓の細胞の扉を開き、血液中に漂うグルコースを細胞内へと押し込むことにある。見かけ上の血糖値の数値は下がるものの、取り込まれた糖自体は体内にそのまま残っている。
細胞がこれ以上糖を蓄えられなくなると、生体は余ったエネルギーを中性脂肪として蓄積せざるを得ない。糖尿病患者が真面目にインスリン注射を続けているにもかかわらず、年々肥満が進んでしまう生理学的な理由はここにある。
既存の薬物治療は、過剰な負荷を患者自身の身体に抱え込ませて処理させているにすぎない。日常の総摂取カロリーが過剰である限り、この「糖の押し込み」は肥満とインスリン抵抗性の悪循環を生み続ける。
3cmの皮下パッチが余剰糖を尿として体外へ直接バイパス
ETH Zurichのアプローチは、従来の薬理学的発想から完全に脱却したものだ。研究を率いるマーティン・フッセンエッガー(Martin Fussenegger)教授は、化学的な代謝の難題を、物理的な電子デバイスによって直接解決することを選んだ。
開発されたのは、純粋な無機材料で構成された長さわずか3cmの薄型パッチだ。小指の第一関節ほどの小ささである。生きた細胞や人工酵素、生物由来のタンパク質を一切含まず、微弱な電気信号のみによって駆動する。
装置の中核機能は電気化学的「酸化」だ。電極に微弱な電流が流れると、周囲の間質液(細胞間を満たす液体)に含まれる余剰グルコースが酸化され、グルコン酸(gluconate:グルコースが脱水素された酸性物質で、水に溶けやすく腎臓から容易に排泄される)へと変化する。
グルコン酸分子は水溶性が非常に高く、分子サイズも小さい。腎臓がフィルターとなってこれらを容易に濾過し、膀胱へと送り込むため、通常の排尿によって体外へと洗い流される。肝臓や脂肪細胞に余分なカロリーを押し付ける必要はなく、過剰な糖は身体のエネルギー収支から直接「帳消し」にされる。
図:触媒の走査型電子顕微鏡画像。球状構造は金ナノシートと微細な白金粒子によって構成されている。提供:ETH Zurich / Debasis Maity
金と白金のナノ触媒ネットワーク:食後90分間だけワイヤレス給電
グルコースを酸化分解すること自体は単純に思えるが、生体内でそれを安定して起こすには高度な材料設計が欠かせない。フッセンエッガー教授のチームは、グラファイトフェルト上に金のナノシートと微細な白金ナノ粒子を組み上げた多孔質触媒構造を開発した。
電子顕微鏡で観察すると、この触媒層は砂漠の鉱物「砂漠の薔薇(デザートローズ)」のように幾重にも重なる花弁状の構造をしている。この微細なひだ構造が表面積を飛躍的に広げ、極小のスペースで無数のグルコース分子を捕集・反応させることを可能にした。
患者の低血糖発作を防ぐため、この装置には適切なタイミングで動作を停止する安全機構が不可欠だ。そこで研究チームは、腕などに装着する市販の持続血糖測定器(CGM:Continuous Glucose Monitoring)と連携させた。
患者が食事を終えて血糖値があらかじめ設定した警戒値を超えると、CGMがBluetooth経由でスマートフォンに通知を送る。スマートフォンの指示に基づき、外部コイルから13.56MHzの電磁波によって皮下のインプラントへワイヤレスで電力が送られ、触媒反応が開始される。
実験データによれば、通電開始から60〜90分で、糖尿病マウスの急上昇した血糖値は安全な正常域へと滑らかに低下した。血糖値が目標値に戻るとワイヤレス給電が自動的に停止し、装置は待機状態に戻る。この閉ループ自動制御は8匹のマウスで2週間にわたり安定して稼働し、過剰作動による低血糖を完全に防止した。
肥満マウスの体重が6週間で1割減少、エネルギー源が脂肪燃焼へシフト
この「糖を直接排泄する」仕組みは、予想以上の代謝改善効果をもたらした。
肥満を併発した糖尿病マウスを対象とした6週間の実験において、インプラントを作動させたマウスの体重は最大10%減少した。対照的に、従来の血糖降下薬を投与されていたマウス群の体重は増加し続けた。
血液生化学検査を実施したところ、装置を作動させたマウスでは血中の中性脂肪(トリグリセリド)が顕著に低下していた。それと同時に、ケトン体(血中の糖が不足した際に脂肪が分解されて生じる代謝産物)の濃度が上昇していた。
これらのデータは、外的な仕組みによって余剰な糖が強制的に体外へ排出された結果、生体が活動エネルギーを補うために体内の蓄積脂肪を優先的に燃焼し始めたことを示している。体外での耐久性試験では、成人1人の全身血液量に匹敵する5リットルのグルコース溶液を処理しても、触媒機能の劣化は見られなかった。
また、マウスの皮下に3か月間埋め込んだ後も、触媒表面に組織の線維化や被膜による劣化は起きず、初期の高い活性を維持していた。
ヒトへの応用に向けて越えるべき「腎臓の処理能力」という壁
動物実験での成果は目覚ましいものの、実験室のマウスから人間の日常診療へと至るまでには、まだクリアすべきハードルが残されている。
本研究には直接関与していない内分泌専門医のデビッド・クロノフ(David Klonoff)博士は、スケールアップに伴う潜在的な課題を指摘する。マウスが1日に摂取する炭水化物は約2gにすぎないが、成人の人間の炭水化物摂取量は日常的に250gを超え、その差は100倍以上に達する。
ヒトの体重と食事量に見合うグルコースを処理するには、電極の面積を大幅に拡大するか、複数箇所の皮下に分散して埋め込む必要がある。また、人間の腎臓が毎日数百グラムに及ぶグルコン酸を安全に排泄し続けられるかどうかも未検証だ。
さらに、排泄前のグルコン酸が血中に一時的に蓄積した場合、生体の酸塩基平衡(pHバランス)が乱れ、吐き気やめまいを引き起こす懸念もある。尿中の溶質濃度が急激に高まることで、ナトリウムやカリウムといった重要な電解質が奪われ、脱水症状のリスクが高まる可能性も考慮しなければならない。
研究チームは今後、臓器のサイズや血液量がより人間に近いブタやヒツジなどの大型動物を用いた実証実験へと進む計画だ。
研究を振り返り、フッセンエッガー教授は次のように語っている。「過去数十年にわたり、人類の糖尿病治療は身体に対して複雑な薬理学的指令を出し続けることばかりに注力してきました。この小さな皮下デバイスは、全く新しい道を切り開くものです。薬剤による代謝負荷を電子的なスイッチへと置き換え、健康を脅かす余剰な糖をそのまま体外へ追い出してしまう。食事計算や毎日の注射に苦しんできた患者にとって、これはこれまでにない全く新しい解決策となります」
参考リンク:
- Science 誌 掲載論文
- チューリッヒ工科大学(ETH Zurich)公式プレスリリース
- Science News 報道記事