「歩き30分圏内のWikipedia」だけを見せるサイト

「歩き30分圏内のWikipedia」だけを見せるサイト

Wikipedia地図個人プロジェクト

データソース:HN + web research

Local Wikipediaを開き、ロンドンのセント・ジェームズ地区(SW1A)を位置情報として設定すると、ページ上部に「500 articles within 0.4 miles」と表示される。0.4マイルは約640メートル。この640メートルの範囲に500ものWikipedia記事が詰め込まれているのだ。そしてこの500という数字は、サイトが設定した上限値にちょうど達している。

ロンドンSW1Aを位置情報としてLocal Wikipediaを開いた実際のページ

図:ロンドンSW1A(セント・ジェームズ地区)を位置情報として開いたページ。上部に「500 articles within 0.4 miles」と表示され、記事数が500という上限に達している。出典:当刊実測スクリーンショット

これは開発者のEd Jeffersonが個人のドメインで公開しているプロジェクトで、ページには「本サイトは公式Wikipediaとは一切関係ありません」と明記されている。自己紹介は一言だけだ。「Wikipedia, but only for things a half hour walk from you」──歩き30分圏内のWikipediaだけを表示する。このプロジェクトはHacker Newsの当日ランキングトップに登場したが、実は似たことは公式側が以前に試している。

公式には「近くの記事」機能があるが、このフロントエンドがトップに

Wikipediaの「近くの記事」機能は長年存在する。経度緯度の直線距離に基づき、周辺の座標付き記事をリストアップする。この機能が問題を解く際に使う言語はGISのもの──あなたを中心に半径何キロメートルか、というものだ。

Local Wikipediaはこの半径の単位を時間に変えた。一般人の歩速が時速4~5キロメートルであるとすると、30分歩けば2~2.5キロメートルをカバーできる。公式機能の一般的な検索範囲と重複する部分も多いが、二つの問題は人間の頭の中では全く異なる形をしている。キロメートルはエンジンが計算する単位、半時間は人が過ごす単位だ。

同じ座標列に対し「半径2キロメートル内に何があるか」と問えば、機能の一覧が得られる。「30分歩けば何に出会えるか」と問えば、散策ルートの候補リストが得られる。検索半径が工学的単位から生活言語に移動するだけで、データの読み方が変わるのだ。

Local Wikipediaサイトのロゴ

図:サイトのスローガン「Wikipedia, but only for things a half hour walk from you」──キロメートル数の代わりに半時間を使う。出典:edjefferson.com

座標がある記事だけを表示、それ以外は非表示

実装自体は非常にシンプルだ。Wikipediaの中から地理座標があるページだけを抽出し、距離順に表示する。座標のない記事は表示されない。二つの数字が極端なケースを挟み込んでいる──周辺の記事が25個に満たない場合、検索半径は約6マイル(約10キロメートル)に広げて最寄りの25個を表示する。記事が500個を超える場合、最寄りの500個だけを表示する。

25と500は二つの圧板のようだ。片方はロンドン市街の640メートルに500もの記事が詰め込まれる密度、もう片方は25個の記事すら集まらず、半径を10キロメートルまで広げても無駄な荒野。同じ機能でも、そこには二つの世界が存在する。

プライバシーの扱いも注目すべき点だ。位置情報データはブラウザ内に留められ、共有されるリンクには位置情報は含まれない。「あなたがどこにいるか」で機能する製品でありながら、「周辺を見る」と「位置情報を渡す」を別の事柄として分離している。

技術スタックも同様にシンプルだ。検索はPhoton──photon.komoot.ioのジオコーディングサービスに任せ、地図はOpenStreetMapから提供されている。全体として自前のデータソースは一つもなく、すべて公開サービスを組み合わせた個人プロジェクトの規模だ。

0.4マイルに500記事、荒野では3時間歩いても1記事も

同じサイトでも、実際のケースでは一桁以上の差がある。ロンドンのセント・ジェームズ地区では、0.4マイルに500記事という上限に達する。一方、フォーラムではあるユーザーが、最寄りのWikipedia記事が3時間15分歩いた先にあると報告している。時速5キロメートルの歩速で計算すると、15キロメートルも先の話だ。

彼の周りに何もないのか。彼の言葉によれば、あるという。弧を描いたきれいな倒木、オオカミに四分の三を食べられたシカの死体、完璧な矢尻が見つかった場所だ。彼の結論は、おそらくこういう場所は心に留めておくべきだということだ。

一方では640メートルに500もの記事が収まりきれない世界、もう一方では3時間以上歩いても記事がゼロの世界。Wikipediaのカバー密度とは、歴史が蓄積されてきた証拠なのだ。どこが地方史編纂され、戦争に巻き込まれ、記念碑が建てられ、人が住み着いたか──その場所こそが密集する。Local Wikipediaはこの分布を変えることはできない。ただ、その分布をありのままにあなたの目の前に提示するだけだ。

観光客には「住宅地ばかり」と不満、単位の争いまで

批判声は具体的だ。あるユーザーは実際に試した後、このアイデアは素晴らしいが観光客には不親切だと不満を漏らした。目の前に面白い場所はいくらもあるのに、ページに表示されるのはほとんどが住宅地や道路だった。

逆の意見も根強い。このツールは「面白いかどうか」を判断しようとしていない。Wikipediaに書かれたことをありのままに転送するだけだ。住宅地や道路が頻繁に表示されるのは、それらに座標があり、実際に記事が書かれているからだ。分布の不均衡はWikipedia自身の属性であり、座標でデータをフィルタリングするツールならどれでも同じ結果になるはずだ。

フォーラムでは、なぜGrokipediaにしないのかという質問もあった。返答はシンプルだった。大規模言語モデルだけで生成され、操作されやすく、幻覚を起こしやすい百科事典では、「どこが記録に値するか」という問題には答えられない。このプロジェクトの全価値は、記事が人間によって書かれているという前提にかけられている──各座標の裏には、ある特定の人が特定の時点で「この場所は記事に値する」と判断した事実がある。生成コンテンツに切り替えれば、密度分布はその測定対象を失うのだ。

残りの論争は最も深刻ではなく、最も現実的だ。あの0.4マイルを表示する単位は、ヤードにすべきかメートルにすべきか。距離が生活シーンに入ると、単位の違いさえも議論の対象になる。

あなたの家の周りにいくつの百科事典が値するかは、歩く距離とは関係ない

このプロジェクトが行っているのは、Wikipediaに既に存在する地理座標を、歩行時間で再分類していることだ。この一度の再分類により、同じデータが二つの異なる意味を持つようになる。ロンドンでは「午後の散歩先の候補リスト」になり、荒野では「どこかの歴史が人に書かれ、どこかが書かれていないか」を映し出す鏡になる。

**あなたの家の周りに百科事典に値するものがいくつあるかは、あなたがどれだけ歩くかとは関係ない。**この数字は、各Wikipedia記事が確定したその日に決まっている。Local Wikipediaが行っているのは、ただ道を歩く一人ひとりが、それを自分の目で見られるようにすることだけだ。

参考リンク:

  • Local Wikipediaプロジェクト公式サイト
  • HNでの議論
  • OpenStreetMap
  • Photonジオコーディング